「世界に一つだけの花」と現代社会の闇

「世界に一つだけの花」 歌:SMAP 作詞・作曲‎: ‎槇原敬之

歌詞を引用させていただくので念のため書いておきました。
歌詞は別として、曲や歌は好きです。ギターでの弾き語りも結構練習してました。

去年白馬岳で撮ったなんかの花の写真

簡潔に言うと

「No.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」と競争の無意味さ、個性の尊さを説くも
・「頑張って咲いた」、「一生懸命」など努力が前提になっている
・「花」という結果を残した個体だけに焦点が当たっている
・競争を努力と言い換える、現代社会と同じ闇を感じる
・花を咲かせること「だけ」が目的みたいに感じられる

努力が前提

世の中色んな人がいます。どんなことでも頑張る人もいれば、好きなことだけ頑張れる人も、何一つ頑張れない人だっているわけです。なるべく頑張らずに済むように頑張る(?)人もいるかも。

周りから「もっと頑張れ!」と言われ続け、自分でも「このままじゃダメだ!」という自己否定に陥ってしまっている人だっていると思います。そんな人に対して「努力できないのも個性」とか「ありのままでいいんだよ」って言ってあげるのがこの曲のテーマではないのでしょうか?

花を咲かせる努力を推奨する歌詞が、曲のテーマと矛盾していませんか?

「花」という結果だけ?

種があって、適切な環境(日光・温度・水分・養分など)があって初めて芽が出て、育ち、花をつけます。中には種や新芽やつぼみを外敵(虫や鳥、動物など)に食べられてしまう個体もいるでしょう。一生懸命に努力するも、持って生まれた環境・能力・運・個性に恵まれなかったり、遺伝や病気で花をつけなかったりした個体は、「花屋」どころか「誰も気づかないような場所」で咲くこともできません。

咲ければ「どれもみんなきれい」と称賛されますが、咲いてない個体は歌詞に登場もしません。努力の成果(植物だけにw)が花という結果だけで判断されます。もともと特別なOnly oneとはいったい… うごごご!!

現代社会と同じ闇

花を咲かせるには日光・水分・養分が必要で、それは他の個体との奪いあいです。花を咲かせる努力≒他の個体との競争なんです。そして咲いてない個体は歌詞に出てきません。
現代社会でも表立っての争いや、卑怯な行い、他人を蹴落とすのは醜いからダメ!という一方で、「頑張ろう」とか「努力」は美しい!と奨励する。そして困っている人を見ると「努力が足りない、計画性が足りない、自己責任」と言って切り捨てる。「努力」と巧みに言い換えた「競争」を暗に推奨し、弱者からは目を背けているところに現代社会と同じ闇を感じます。

「あいつが枯れれば俺に日光当たんのによぉ」とか「食べるなら俺じゃなくて隣の奴にしてくれ」とかTwitterで呟いちゃだめです、叩かれます。祈るだけにしときましょう。祈祷力が試されます。これが現代社会です。

俺は努力したんだ!自分の力で咲いたんだ!とバケツの中で威張っている花もいるかもしれません。でも、自分が知らないだけで、実は他の個体が枯れてくれたり、自分の代わりに外敵に食べられてくれた「おかげ」かもしれませんよ…?

花を咲かせることだけが人生じゃない

花屋に並ぶ「花」だけを見て、きれいだ、素晴らしい、皆も頑張って勝ち組になろう!というのはちょっと曲のテーマと違う気がします。
何を目的に、どんなふうに生きるか。何をもって幸せとするか。各個人で決めればいいのではないでしょうか?生きる目的を持つかどうかも含めて。


最後になりますが、負け組がいるから勝ち組が存在できるわけです。負け組が一人もいなくなったり、猛烈な努力をして勝ち組の上位に食い込んだら、今勝ち組の中で下位にいる人たちが新しく負け組になります。(これはひろさちやさんの本で読んだ文章かも)
私は相対的なものにこだわる必要はないと思っています。いわゆる負け組を選択して、さっさと競争から降りた方が楽しいと思います。まぁ個人の考えなので、みんな好きな生き方を自由(自分に由って)に選べばいいと思います。若いころの私は、自分で選んでるつもりになってたけど、実際は親や周りの価値観、世間体や常識に合わせているだけでした。そのくせ一丁前に色々悩んでたりねw何やってんだか…。

敵さん
敵さん

えっ、こいつジャニーズを相手に!? ライン超えたな!
住所特定されたらカミソリとか送られてきそう…

オラン
オラン

………

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